2011年11月21日月曜日

植芝守央道主インタビュー~和合の精神~

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あの人に迫る
 競うのではなく相手と調和する

 うえしぱ・もりてる 1951(昭和26)年東京都生まれ。
 合気道2代道主植芝吉祥丸氏の次男。小さいころから道場で遊ぶ生活をし、小学1年で正式に合気道を始める。明治学院大経済学部卒業。86年に本部道場長、96年、合気道普及のための財団法人「合気会」理事長に就任。99年、吉祥丸氏死去により道主を継承した。現在、国際合気道連盟会長、全国学生合気道連盟会長、財団法人日本武道館理事などを務める。

 著書は「規範合気道」「技を極める合気道」「合気道パーフェクトマスター」など。来年5月には、東京の日本武道館で開かれる第50回全日本合気道演武大会を主催する。


 合気道は勝敗を争わない武道だ。試合をしないからオリンピックの種目に選ばれることはないが、世界九十五カ国百六十万人の人たちが修養する。

 その精神は合気道の生まれた和歌山県の熊野の心にありそうだ。創始者の孫で、三代目道主の植芝守央さん(六〇)の座右の銘は「正勝吾勝(まさかつあかつ)」。「勝たずして勝つ、われに勝つ」という意味だという。(吉岡逸夫)


Q合気道は、なぜ勝敗を競わないのでしょう。

A開祖、植芝盛平(一九六九年死去)がそういう形をとらなかったことにあります。勝ち負けに関係なく、自分を磨いていくというのが目的ですから。開祖は「合気道の極意は、己を宇宙の動きと同化させ、己を宇宙そのものと一致させることである」「合気道においては、こちらから攻めかかるということは絶対にない」「相手はいるが、相手はいないのである」などの言葉を残しています。相手に勝つことが目的ではなく、相手と自分と、みんなが一体となること、相手を思いやるという気持ちを養うということです。 

Q競争原理がないと、稽古はマンネリにならないですか。

A競争しながら伸びるという方法もあると思います。否定はしません。しかし合気道はそういう発想ではなく、自分と相手と一緒に稽古していく。交互にキャッチボールしながら、相手を尊重できるようになることです。人は他人がいるからこそ生きがいを持つことができ、他者を知ることから優しさや思いやりといった感情が持てるのではないでしょうか。
 合気道は基本の技の稽古を日々淡々と繰り返し行うことに尽きます。道場という一つの場を共有し、幅広い年齢層、性別に関係なく、和合の精神を大切に、道を究めるために修行しています。

Q合気道誕生のいきさつから。

A開祖は一八八三(明治十六)年に、今の和歌山県田辺市に生まれています。十八歳で上京し、商売をやる傍ら柔術を習い始め、武道に目覚めます。剣術や銃剣術も習練します。ある時、北海道へ開拓団として赴くのですが、帰郷の途中に寄った京都(現在の綾部市)で出口王仁三郎という宗教家に出会い、その説法に共鳴したのです。山ごもりをした後、独自の武術を編み出し、「植芝塾」と名付けた道場を京都で開きます。それが評判となり、出入りしていた海軍の人たちに「ぜひ東京に来なさい」と八十年前に招かれたのです。それがここ(東京都新宿区)の本部道場で、今年創建八十周年を迎えます。

Q合気道の平和的な考えと、開祖の故郷の熊野信仰と関係があるように思えるのですが。

A大いにあると思います。そもそも祖父は熊野本宮大社で授かったといわれています。曽祖母には女の子しかいなかったので、息子がほしいと、本宮大社に何度もお参りしたおかげだと。熊野信仰は自然崇拝からきておりますが、やがて仏教を受け入れ、神仏習合となりますね。そういった争わずに受け入れるというおおらかさが、熊野が世界遺産に登録された一つの理由とも聞いています。熊野の自然の中で育ち、自然宗教の知識があったから、合気道精神に影響を与えたと思います。

Q合気道が上達するためにはどうしたら。

A何でもそうだと思いますが、よく見ることと、偏見を取り除くことが大事です。自分がこういうふうに思って、その人を見るのではなくて、何もないような状態。指導者がどう動いて、どうやっているかをよく見て、イメージをつくって反復していく。先入観から見ないで、いいものを取り入れる。
 そのためには平常心も必要です。いつもフラットな状態で物事に対応できる感じですね。東日本大震災で被災者たちは立派でしたね。避難所でも静かに整然と並んでいました。日本人のいいところですね。

Qそのことでは、海外から称賛されましたよね。なぜだと思われますか。

A日本でそういうものが培われているのだと思います。江戸時代からずっと人を敬うとか、思いやりの心とかが伝わってるのだと思うのですが。それは合気道の相手の立場を考えるというのと通じています。自然は無視できないし、抑え込むこともできない。自然災害が起きた時に、どうやって一緒に調和していくかということを考えるしかないんじゃないですか。

Q開祖は、日本の流れの中からそういうものを生み出していったということでしょうか。

A稲を育てて、耕して、刈り込んで、恵みを喜んで、毎年毎年のサイクルで。お互いに協働しながら、営みを大事にしていくという土壌があり、その上で、教育で、読み書きができたということ。それが今のわれわれの社会につながっている。そういう長い流れの中で、合気道は生まれるべくして生まれた感じはありますね。それに対して日本人が共鳴し、海外の人たちの中にも共鳴する人たちがいたということだと思うのです。

Q開祖と、二代目の植芝吉祥丸さん(一九九九年死去)はどんな人でしたか。

A開祖は私が物心ついたころは七十歳を超していて、神様のようでした。普段は一緒にテレビをみたり、ご飯を食べたりする全く普通のおじいちゃんですが、いざ道場に立つと、ぱっと顔が変わります。そこで合気道の説明、精神、秘めたるものを語るのですが、眼光鋭く、今でいうオーラが道場いっぱいに広がっている。そういう印象でしたね。初代はカリスマ性のある人でした。
 父も声を荒らげる人ではなく、私が道場へ行かなかった時でも何も言わなかった。だから、無理やり合気道をやらされたわけでもなく、自然に入っていった。父からは、細かいことよりも、全体を見ながらやっていくことがいい結果を生むと教わりました。
 二代目は開祖が作ったものをきちっと整理しながらやっていく。技なども開祖が作ったものをまとめていく。開祖が偉人なら、二代目は賢人。私は普通の人です(笑)。

Q三代目として心掛けていることは何ですか。

A否定語をなるべく使わない。否定から入ると物事は生まれないのではないかと思います。まず一回聞いて、自分とは合わなくとも、落ち着いてから考えるようにしています。それから、毎朝稽古に出る。普通に稽古を大切にしながらやっていくことで、特別なことは考えていません。
 合気道は変わらないが、社会状況は変わってきている。合気道人口も増えてきています。組織は大きくなってきましたが、本来の合気道をぶれない形で次の代に送っていくことが私の仕事かなと思っています。

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